新卒退職日記

2020/4/15
辞職の意向を伝えるため、午後から上長との面談をいれていた。長引いたら厄介だと思いながらパソコンに向かう。画面の向うで上長はいつものように笑っていた。単刀直入に退職したいのだというと、上長の表情は一瞬険しくなり、それからまたいつもの笑顔にもどって了解ですといった。特に理由をきかれることもなかった。長引くどころか、五分も経たずに話は終わった。これで僕の退職が決まった。

2019/5/10
配属発表の場は異様な緊張感に満ちていた。社長がみなの前に立ち、ひとりずつ配属先を告げてゆく。配属には明らかに当たりはずれがあった。勝ち組と負け組といってもいい。前者が出ると研修室内はどよめき、後者が出ると気遣うような拍手だけが鳴る。僕の配属先として発表されたのは、もっとも行きたくない部署の、もっとも行きたくない部門だった。気まずそうな拍手だけがきこえた。

2019/5/14
いわゆる勝ち組の、マーケティング戦略などに関わる部署の先輩たちが僕らの部署に言及するとき、まあその部署でもこういうことはできなくはないしどこにいようと自分しだいですからね、みたいな妙な気遣いを見せてくる。それなりの規模の会社なので自分の望み通りにいかないことは諦めもついているが、こういう情けをかけられると悲しくなる。中学の合唱コンクールで結果発表が行なわれるとき、クラス間であきらかな優劣があったのに、どのクラスもほんとうに上手で迷ったんですけど、という前置きをされる、あの感覚に近い。

2019/5/22
グループの先輩たちと顔合わせがあった。上長はよく笑うひとだった。僕が指導をうけることになる上司は三十代の女性で、語気が荒く、とにかく気の強いタイプだった。旅行が趣味だというのでおすすめの観光地を訊ねると、京都だといわれた。

2019/8/12
本配属になり一週間が経つ。デジタル土方の異名をもつこの職業はとにかく作業が中心で、世間一般が想像するような広告代理店の華やかさとはまるで無縁だった。一年目だからというのではなく、五年目の先輩もまったく同じことをやっている。上司から指導をうけていると、口調の問題か、なんだか常に説教をうけているようで疲れてしまう。

2019/8/27
毎日毎日毎日なんでこんな仕事をしているのかわからない。うちのグループは二年目の先輩がすでに全員辞めるか異動するかしていて、そういうことを気軽に相談することもできない。あとはほとんど年の離れた中途の先輩で、もともとこの部署でこういう仕事をするとわかって入社しているから、悩みも共有しづらい。同期と愚痴をいいあうことだけで、どうにか暗鬱な日々を乗り切っている。

2019/9/30
なんでそんなに時間かかるんですか? 意識が低いんじゃないですか? と朝から上司に大声で怒られる。もはや日課のようになっていた。叱責は何列も離れたデスクにまできこえているらしい。どう考えても隣りに座っている人間に話しかける声量ではない。

2019/10/11
部署の方針で二週間に一度、上長との面談が設定されている。僕が毎日上司に怒られているのを背中で聞いているはずなので、そのことを相談しようとしたら、仲良くやっているようでなによりだよ! と笑顔で先陣を切られ、なにもいえなくなってしまった。

2019/11/18
月曜の憂鬱というのはあまりにも耐えがたい。こんなことなら死んだほうがましだと思える。みんなこんなものなのだろうか。なにかの間違いで仕事がなくなったり上司が来なくなったりすればと思うが、いつものように絶えず作業は生まれ、上司はぶっきらぼうな挨拶とともにやって来る。

2019/11/25
残業が増えてきた。十時近くまで会社に残っていることが多い。それで環境がよければ耐えられるのかもしれないが、やることといえば相変わらず作業が中心で、隣りには上司が座っていてなにかあればすかさず攻撃的な言葉を飛ばしてくる。最近は行動の基準が上司に怒られないことになっている、と思った。なにか提案したり新しいことに手を出そうと思っても、それでまた怒られたらと考えるとなにもできない。

2019/11/28
上長との面談。最近の調子はどうかと問われたので思い切って現状を伝え、異動させてほしいと訴えた。すると上長は、楽しいことばかりの仕事なんてないし、残業のまったくない会社なんてない、といった。そういう話をしているのではない、いまが劣悪すぎるから少しでもましな環境に身を置きたいだけなのだ、と話してもまるで埒が明かない。的はずれな反論で逃げられ、最後にはいつもの笑顔でもうちょっと頑張ってみようかと肩をたたかれた。

2019/12/3
週一で作成する報告資料を途中で投げだした。こんな日々が続くのならもう死んだほうがいいと考えてデスクで泣きそうになった。そうして文字を打ちこんでいるうちになんだかほんとに死んでしまうような気がして、無理やり体裁だけ整えて提出した。あぶなかった、と思った。

2020/1/2
お正月だというので例年通り母の実家を訪ねる。祖母に仕事がつらいという話をしたら、戦時中よりましだといわれた。

2020/1/6
仕事はじめ。なんとなく気分の改まった感もあって現状を冷静に振り返ってみた。いまの自分は業務内容、労働時間、それから上司との関係からたぶん鬱病の一歩手前にあって、でもそれを自覚できるだけの余裕はある。だからほんとうになにもできなくなる前に行動をしなければならない。ゆとりだの甘えだのといわれようと知ったことではない。石の上にも三年といったって気づいたら石の上で冷たくなっていたんじゃ意味がないのだ。まずは他部署の同期に話をきいて異動の希望に具体性をもたせつつ、転職エージェントに登録していざとなったらすぐに動きだせるようにしておく必要がある。この半年でぜったいに決着をつけようと誓った。

2020/1/22
どれだけ上長に訴えても伝わらないと確信して、信頼している人事に連絡をいれた。何ヶ月経っても業務内容が苦痛で、残業も多い、もう精神の限界が来ているから異動させてほしいと泣きそうになりながら伝えた。上司のことはいえなかった。親身に話を聞いてくれ、人事に異動の決定権はないから、そういうことならこちらから上長に掛けあってみようといってくれた。深く礼を述べたあとで、もし当面異動が叶わないようであれば転職活動を進めるということを伝えた。

2020/1/20
あまりにも気がふさいで社食で頭を抱えていたら同期に見つかった。

2020/1/27
人事から話を聞いた、といって上長に呼ばれた。君がそれほど深刻に悩んでいるとは思わなかったと謝られた。でも、いまの環境がいやだから、という理由では異動はできない、誰もそんなモチベーションの人間には来てほしくないから、と上長の話は続いた。それにもっとつらい思いをしているひとはきっとたくさんいるよ、と付け加える。帰りの電車で、転職エージェントの面談を予約した。

2020/1/30
転職エージェントとの電話で、いまどんな仕事をしているのかということを話した。自身の仕事が業界内でどのような位置づけにあり、その強みをどう活かせるのかをきちんと理解できている、といってくれた。そういうことを述べるのが向うの仕事なのだとわかっていても、上司に否定されてばかりの僕にとっては救いのような言葉だった。

2020/2/18
夜の九時半ごろ、見積りを作成していた。ちょっと厄介な案件で、ようやく完成したと思ったら最初の段階でミスを犯していることに気づいた。それを知った上司が、はい残念! やり直し~! と嬉しそうにいった。どうしてこの情況でそういう言葉が出てくるのか、ほんとうにわからない。

2020/3/4
COVID-19の脅威をうけてはじまった在宅勤務も二週目に突入した。十社ほど書類を出したが、一社からは既にお祈りメールを頂戴していた。第二新卒といっても結局はただの中途採用で、なかなか厳しい道のりであることが予感される。

2020/3/15
書類選考が通ったのは十社中たったの二社で、ところが恰度それが行きたい会社だったのでよかった。住宅メーカーとウェブ出版社で、どちらも広報や企画といったことを担う部署だった。

2020/3/22
ウェブ出版社の一次面接のため、仕事を早めに切りあげる。一年前はまさか自分がこんなことしているとは思ってもいなかった。面接は二年ぶりだったが、人事が大学の先輩だということが判明して話も弾み、その場で最終面接の案内をいただいた。

2020/3/30
午前半休をとって住宅メーカーの面接に向かう。こんな情勢であるのに渋谷はそれなりの混雑だった。面接官は強面の人事で、営業への異動もあり得るが問題ないかときかれた。問題ないと答えたが、そんなわけない。おそらく顔に出ていたのだろう、面接が終わって二時間としないうちにお祈りメールが来た。

2020/4/6
世界ではCOVID-19が猖獗を極め、国内でも緊急事態宣言が発表されることになったという。ウェブ出版社の最終面接は明日だった。いったいどうなるのだろうと思っていると転職エージェントから電話がはいり、こうした情勢をうけて中途採用自体がとりやめになったと伝えられた。十分に予想されうることだったが、絶望した。

2020/4/7
朝、あらゆるやる気を喪失して便座にぼんやりと座っていると、またしても転職エージェントから電話がかかってきた。交渉の結果、面接が復活したという。そんなことがあるのかと思った。ともあれそうとなればやれるだけのことはやるしかない、気を奮い立たせて緊急事態宣言前夜の東京に出向き、面接をうけた。手応えとしては可もなく不可もなく、というところだった。すっきりしない気分のまま帰路について最寄駅で降りると、電話が鳴った。転職エージェントからだった。おめでとうございます! という昂奮ぎみの声が飛びこんできた。わざとらしく夜空を見上げてみた。ようやく終わったのだ、と思った。本格的に動きはじめてから約二ヶ月、あっけないといえばあっけなかった。そのまま入社予定日や退職交渉の説明をうける。このことを伝えたら上長はどんな顔をするだろうか、引き止められたりするのだろうか、そんなことを考えながら夜道を歩いた。

2019/4/1
今日からサラリーマンとしての生活がはじまった。働きたくはないものの、働かねばならないとなれば、やりたいことは色いろある。クリエーティブの制作かマーケティング戦略を考案するような部署に行けたらいい、と思う。一ヶ月後にどんな部署への配属をいいわたされるのか、一年後にどんな案件をもっているのか、そういうことを考えるのは少しだけたのしい。