2023年のよかった本・映画など

2023年、今年も今年でいろいろあったけれども、そんななかでもまあぼちぼちと本を読んだり映画を観たりなんだりとしていたので、今年こそはその振りかえりをしようと思います。本、映画、その他、の部門になる予定。

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

あんまりにも美しいんで読み終えてしばらくどうしていいかわからなかった。読みはじめの印象は小説というより詩集なのかなという感じだったけど、読み進めるにつれてある物語の輪郭が浮かびあがってくる構造は間違いなく小説のそれだった。物語の全体がさびしさと静けさに満ちていて、読んでいるあいだはほんとにしんしんと雪の降る夜にひとり飲みこまれたような心地がする。で、その静寂のなかに、あらゆるものが生じて滅してゆくことの厳然さみたいなものが立ちあがってきて、なんだかもう、圧巻という感じだった。ちなみにおなじ作者の詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』もかなりよかった。

ユベルマン『場所、それでもなお』

ユダヤ人虐殺にまつわる短い論考みたいなものが三本おさめられている。おなじ著者の『イメージ、それでもなお』もよかったけれど、こちらの「樹皮」と題された文章は、著者が実際にアウシュヴィッツを訪ねたときのことを写真をまじえて語るもので、根底には『イメージ、それでもなお』で展開された理論を感じさせながら、目の前の景色に著者自身の情感や記憶も重ねあわせられてゆくようなつくりになっていて、しみじみといいものを読んだなあと思わされた。明確な理論的な繋がりはないものの、なんとなくおなじ主題に沿ったような複数の短い文章が、あいだに写真なんかも挟みつつ連なってゆく、みたいな作品にぐっと来てしまいがちで、そういうものをいつか書けたらなあとも思うのだけれど、それのお手本というか、憧れのような作品だった。

村上春樹羊をめぐる冒険

三冊めにしてはやくも振りかえりを書くのに飽きてきた。昨年も一昨年もこういうことをやろうとして途中で飽きてやめている。ここからはひとまず書きあげることを目標に駈け足で進んでいきたい。本作、すべてが過ぎ去ってしまった切なさ、だった。

ベケット『ワット』

柄本明が「柄本家のゴドー」で似たようなことをいっていた気がするけれど、ベケットの登場人物たちは熱心であればあるほど滑稽で泣けてわらえて、とにかく読んでいてたのしい。後年の小説三部作のほうが言葉と身体のままならない連鎖としての語ること、みたいなものへの意識を感じられていっそう好きだけれど、こちらはこちらでバカみたいに執拗な繰りかえしの描写とかやばいな~となるところが多くて好きだった。

ユク・ホイ『再帰性と偶然性』

偶然性を必然性としてとりこむフィードバックシステムが横行する時代にわれわれはどうやって偶然性を取りかえすのか、という話。仕事と趣味の交叉点になるようなならないようなという予感を抱いて手にとった。どの箇所でも言っていることはだいたいおなじなのだけれど、あの手この手を使って緻密に議論が展開されてゆくのがたのしい。ライプニッツを扱っている章は全然わからなくてかなり流し読みした。

堀江敏幸『熊の敷石』

ずっと妙な緊張感がただよっている。表題作については、なにをしようとしたわけでもないなんとなくの仕種や言動が思いも寄らぬなにかを呼び起こしてしまったときの不和みたいなものが、なんというかもうままならないなあという感じだった。

土門蘭『死ぬまで生きる日記』

カウンセリングを受けているみたいですごい。普段あんまりエッセイの類いは読まないのだけれど、著者のようなはっきりとした希死念慮はないにしても、決して自身も生にめちゃくちゃ前向きというわけでもないので、読めてよかったと思った。

クレマン『動いている庭』

本のつくりも動いている庭という概念もかっこいい。外を歩くのがよりたのしくなる。

薮田崇之『起業家が知らないとヤバい契約書の読み方』

上司から読んでおきなさいといわれてしぶしぶ読んだが、案に相違してかなり面白かった。契約書のこういう文面はこういうふうにもとらえることができるから実はこういうリスクがあるのだ、みたいなことを示すくだりは、さながら探偵小説でも読んでいるかのような意外性があってたのしい。

映画

北野武その男、凶暴につき

TSUTAYAで借りて観て、面白すぎてひっくり返った。まずなによりも無機質に描かれる死がたまらない。そこにある死はいわば無意味の即自存在のようなもので、道具としての機能を一切拒絶している。死はただそこに死としてある。ヒロインの死と壮大なBGMをもって観客を泣かせようとする映画の対極に位置する映画だ。「ソナチネ」にたしか死を本気で怖がると死にたくなっちゃうみたいな台詞があったけれど、たぶん即自的な死の描かれ方はそういうところに由来しているのだろうなと思う。そしてそこに完璧な笑いの要素と、ばっちりきまった画が加わるのだから、もう好きになるしかない。これをきっかけにすっかり武に夢中になって、「アウトレイジ」より前のものはだいたいTSUTAYAで借りて観た気がする。

ゴダール「ウイークエンド」

こちらも理不尽な暴力・死という点で魅せられつつ、あの驚くほど長い長回しで完全にやられてしまった。一本道で渋滞に巻きこまれた男女が、どの車にも割りこみをさせてもらえないままどんどん進んでゆき、するとしだいにまわりの環境が荒れはじめ、とうとう道ばたには複数の死体が現われだす、という様子を、ひたすらわきからのカメラが並行して追ってゆくのだけれど、そのとんでもなさに、映画館の座席で興奮をおさえるのがほんとにたいへんだった。ただ本作はゴダール最後の商業映画だったとかで、終盤ではすでにその兆しが濃厚となり、なにがなんだかよくわからない時間が二十分ばかり続いた。そのあたりのことはなかったことにしている。

アントニオーニ「欲望」

映画もやはり二本で力尽きてしまったので、ここからは駈け足で駈けぬけていきたいと思う。今年は特に理由もなくアントニオーニをたくさん観て、どれも結構好きだったのだけれど、こちらはとりわけ展開の緩急がクセになって興奮しっぱなしだった。

山口淳太「リバー、流れないでよ」

構成の緻密に練られたループものはほんとに気持ちいい。ループの原因がめちゃくちゃチープなのもかなり好きだった。

キアロスタミライク・サムワン・イン・ラブ

東京をこんなふうに撮れるんだと思って驚いた。キアロスタミの「そして人生は続く」はいちばん好きな映画だったのけれど、去年ごろに監督の過去のあれこれが発覚して以降、そのことにどう向きあうべきなのかをちゃんと考えられていない。

エリセ「ミツバチのささやき

とても好きだった。それはひとつには印象にのこる画が多かったからというのがあるのだろうけれど、ただそれ以外の惹かれた理由というのがよくわかってなくて、また観て考えたい。

カウリスマキ「枯れ葉」

「ミツバチのややさき」を振りかえったところで映画の振りかえりはすっかり終わったつもりだったのが、暇だし散歩がてら観にいくか~ぐらいのテンションで観にいった本作にすっかり打ちのめされて、追記を余儀なくされた。80分という枠、画、台詞、間、色、音楽、全部が洗練されきっていて興奮が止まらなかった。昨年は「ケイコ、目を澄ませて」、一昨年は「偶然と想像」と、年末ごろにその年のベストとなりうる新作に出会いがちな気がする。

その他

ロロ「BGM」

軽やかでありながら、しかし確かな姿勢で震災に向きあっていた感じがある。ぼくはこういう過去といまとを行きつ戻りつみたいな構成に弱いと思った。音楽がよかった。演劇の感想を描くの全然得意じゃない気がする。難しい。

ヨーロッパ企画「切り裂かないけど攫いはするジャック」

気持ちよくわらえた。この限られた舞台と設定でこんなにも色いろの展開を生みだせるんだと思った。『リバー、流れないでよ』にもあったある種の馬鹿馬鹿しさは健在で、ひとによってはいっきに醒めるかもしれないけれども、ぼくはこういう馬鹿馬鹿しさを堂々とやられるとほんとうに愉快な気分になってしまうので、とても満足した。

サザンオールスターズ茅ケ崎ライブ2023

茅ケ崎の小さな野球場でたった四日間だけ開催された、デビュー45周年のライブ。まさか当選するとは思っていなかったので、信じられないような思いで臨んだ。「C調言葉に御用心」というサザンオールスターズ屈指の名曲からはじまり、「女呼んでブギ」というたまらなく馬鹿馬鹿しくて愛おしい楽曲へと続く。いつも通り「LOVE AFFAIR」も聴けた。茅ケ崎の海風を感じながらサザンオールスターズを観るというあまりにも貴重な時間となった。

日プ女子

同居人に釣られて見はじめてまんまとはまった。運営のやり方に不満を感じたり、特定の練習生に入れこんで毎日投票したりと、オーディション番組のあれこれを味わった。練習生の多くを年上としか感じられなかったのだけれど、といって(ぼくがいま27歳だから)彼女たちのことを28歳より上のようにとらえているかというとそれはそれでそんなことはなく、(実際は大半か高校生か大学生であるところを)なんとなく24歳ぐらいかなと感じている節があり、それが年上のように映るということは、ぼくはぼく自身のことをまだ23歳ぐらいだと思っているのだろうな、といったことを思ったりもした。桜庭遥花さんのことを忘れません。